瑞穂ノ國カラ、コンニチハ。
大阪修行時代

2014年2月19日 水曜日

第2回 大阪修行時代



 大阪時代の仕事について少し。
大阪の女子大を卒業後、コピーライターを目指して宣伝会議の
「コピーライター養成講座」に通って就職。女性のプランナーで
ありコピーライターのボスには、コピーや編集についての仕事の
進め方、デザイナーやカメラマンとの連携など、多くを教えても
らいました。オフィスは何と北の新地のド真ん中の小さな雑居ビ
ルの小さな一室。東京だと銀座にあたるのでしょうか・・・。2
年間、月刊のタブロイドのボウリング情報誌の取材と編集を担当
しました。

 1984年の春、事務所をクローズすることになり、ボスの紹
介でBGMの会社に就職しました。大阪ローカルのラジオ局の系
列会社で、商業空間の音演出を主体とした制作会社でした。ラジ
オCM、ラジオショッピングの原稿、イベントのステージ台本、
流通店内のCM、コンビニ店内の案内CMなど、紙メディアでも
なく、電波メディアでもない、ちょうど隙間的な部分の仕事でし
た。クライアントと打ち合わせて、原稿を書き、選曲をして、ス
タジオでナレーション録音して編集作業へ・・・、この会社では
同年代の男女が多く、毎日楽しく仕事をしました。まるで学校に
通うようにワイワイガヤガヤと仕事を進め、この頃の同僚は、大
阪と東京に離れていても今も仲良しです。私がユニゾンとして仕
事をする部分での基本のスタイルは、この会社での制作ディレク
ターやプランナーとしての経験が大きいと思っています。
(次回へつづく)

(Planning Office Unison 加戸佐織)
FBページ  https://ja-jp.facebook.com/unisonjp



写真:1987年頃、BGM会社の旅行で北海道に行ったとき

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